英語が出来るだけの人材になってはいけない~英語ペラペラな先輩の異動に思うこと~

春は異動の季節ということで、私の部から異動、他部からの加入、新入社員が加入ということで、いろいろ我が部にも体制の変更が起きております。今回はそんな異動から感じたエントリーです。
人事異動というサラリーマンの宿命
我々サラリーマンにとって避けられないというか、自分の裁量で決めることが出来ないことは各種あるかと思いますが、特に影響が大きいものといえばやはり、人事異動と上司ガチャですよね。
人事の決定による異動(たとえ転居を伴うものであっても)は基本的に断ることは出来ないのということはサラリーマンにつきものだと思います。また、上司と気が合わなくてもこちらから上司を変えてもらうことはできず、部下の方が我慢をしなければならないということはサラリーマンにとって一つの大変な苦行というか、人によっては耐え難いことでもあると思います。
部内で指折りの英語ペラペラな先輩が異動に
今回我が部から異動となったのは、部内で英語力がかなり高い(部長を除けば1番だったかも)先輩でした。ちなみに当部に配属されたのは私と同タイミングです。弊社は海外展開こそしているものの英語と関わることのできる部署は少なく、今私が所属している部署は貴重な海外案件のある部署となります。ところが今回その先輩が異動となった先の部署は、正直言って英語を使う機会はほとんどありません。
私から見れば、どうして自分より英語の出来る先輩が先に異動になるんだろうなあと言いたいところですが、他の先輩や部長からの話からひも解くと、当然理由はあるようです。
「英語ができるだけ」の人材になってはいけない
よくバイリンガルの本部長に言われる言葉があります。「英語が出来れば英語で仕事ができると思ってはいけない。あくまで日本語で仕事ができる人が、英語力も手に入れたときに英語で仕事が出来るんだ。」
これはまさしくその通りで、よく錯覚資産とも言われますが、なぜか日本では「英語が出来る=仕事が出来る」の等式が成立しているように考えられているような気がします。自分でも思う節はありますが、例えば私が入社した際、自分のTOEICスコアよりも高いスコアを持つ同期がいることを聞いたときに、「うわ、こいつTOEIC高いな。仕事もできるんだろうな~」とか考えたのを覚えています。
たぶんこれはいろいろな人が経験しているのではないでしょうか。特に語学に関しては、自分より語学力が高い人は、なぜか仕事においても自分より優秀なのではないか、いやきっとそうだ。という思考に繋がることが多いと思います。
しかし実際には、英語が出来れば仕事も出来るかというと、当然ですがそれは全く別の問題です。今回異動となった先輩についても、英語力は誰もが認めていましたが、仕事のパフォーマンスについては疑問視する声が多かったことも事実です。
例えば指示されていた業務を忘れてしまっていたり、期日の迫っている業務があるのに映画を見るためにそれを残して帰る(尻拭いはさらに年次が上の先輩)等、そもそもの仕事に対する姿勢や、パフォーマンスが低かったということが異動の大きな理由でした。
ここからは想像ですが、おそらく英語力が高いということに自分で理解していると、ある種のプライドのようなものが芽生えるのではないでしょうか。私にとっては、前述の先輩にはプライドがあったように見受けられました。そこで謙虚さを失ってしまうと、パフォーマンスの低下にも繋がるのではないでしょうか。
グローバル人材になるという目標のために考えること
今回得た教訓は、「英語が出来るということと仕事が出来ることは決してイコールではない。グローバル人材というものは、日本語で出せる高いパフォーマンスを、英語というツールを使って同じ精度で出すことが出来る人材である」ということです。
必死に英語を勉強している最中ではありますが、そもそも論として自分は仕事で高いパフォーマンスを出せているのか、ということを意識する必要があると再確認するいい機会となりました。私は密かに、20代のうちに海外で働くチャンスを掴みたいという目標があります。そうなったときに大切なことは、英語の能力も必要である一方で、仕事のパフォーマンスを高めていくことであるということに気付きました。
今後は英語力の向上に加え、仕事のパフォーマンス向上も同時に考えていければと思います。